This interview has been published in both English and Japanese.
Title: Walking in the World of Dementia (認知症が見る世界)
Publisher: Takeshobo (竹書房)
時間も場所も、目の前の人が誰かさえも分からない。自分はどうして、こんなところにいるのだろう――。認知症患者たちの不安・恐怖・孤独感にあふれた「心の内」を、現役ヘルパーである筆者が胸に迫るタッチで描く。話題作『消えていく家族の顔 ~現役ヘルパーが描く認知症患者の生活~』の第2弾。
田口 ゆうは、坂本孝輔へのインタビューをもとに『認知症が見る世界』の原作を制作しました。介護福祉士であり東京都認知症介護指導者である坂本氏は、プロジェクト全体を通じてゆうの主たる情報源でした。
田口: 「なぜ介護の世界に入ったんですか?」坂本さんには日刊SPA!の取材で聞いているけど改めてお願いします。
坂本: 考えてみましょうか。最近思い出したことがあって。多分、田口さんには話してないと思うんですけど、よく聞かれて話すのは、祖父が病院で亡くなった時の話です。高校2年の時、祖父は肺が悪くて入退院を繰り返していました。
行ったり来たりしていたんですが、ある夜、危篤だと電話が来て、家族で病院に駆けつけました。看取ることができたんですけど、祖母は「死んじゃった」とどこか冷めた様子でした。でも母親——祖父にとっては義理の娘ですが——医師が臨終を告げた瞬間、看護師より先に祖父のおむつを替えたんです。
高校2年生だった僕は、母のその姿を見て「余計なことするなよ、でしゃばるな」と思いました。でも、おむつを開けたら、水様便が出ていた。祖父には可愛がってもらっていたほうだと思うんですが、祖父の陰部を初めて見て、大人がこんなふうに失禁しているのを目の当たりにして、吐きそうになりました。そして、吐きそうになった自分に罪悪感を覚えました。
もしこれが祖母にも起きたら——そう思うと嫌だなと感じていました。ちょうど進路を決めなければならない時期でしたが、本当にやりたいことが何もなかった。絵を描くのは好きだったけど、美大に行くほどでもない。方向性がまったくなくて、漠然と郵便局員や司書は楽そうだなと思っていました。そしたらバレー部の先輩が社会福祉の専門学校に行くと言い出した。福祉はボランティアだと思っていたので「ボランティアの学校があるの?」と聞いたくらいです。そこで初めて、福祉が職業として成り立つことを知りました。
それまで障害者や高齢者のことは全く視野になかった。テレビでそういう番組がやっていたらチャンネルを変えていた——当時はまだダイヤル式でしたけどね。でも、そういう職業があると知って、少なくとも学校に行けば祖母の介護ができるようになるかもしれない、おむつを替えられるようになるかもしれない、と思ったんです。この仕事に就くかどうかはわからなかったけど、なんとなくそういうイメージでその道を選びました。
介護福祉科と社会福祉科があって、介護福祉科は直接ケアをする人たち、社会福祉科はどちらかというと相談支援——事務的な仕事です。土壇場で怖気づいて社会福祉科を選びました——やっぱりおむつ交換は嫌だなと。でも社会福祉科でも介護実習には行くんですよね。やってみたら、あっという間に慣れてしまった。施設のおばあさんたちにも割と好かれるタイプだったみたいで。
振り返ると、自己効力感というか、承認欲求が満たされていたんでしょうね——外発的動機が満たされて、現場の仕事がいいなと思って選んだ。これがいつも話す話です。
でも最近思い出したことがあります。小さい頃から、寂しそうなおじいさんやおばあさんを見ると、胸がキューッと締め付けられたんです。
田口: かわいそうという気持ち?具体的にどんなおじいさん?
坂本: かわいそうとは違うんです。一人でいる、寂しそうなお年寄りを見ると胸が締め付けられる。「かわいそう」という感覚でもない——恋に近いというか。わからないけど、キューンとなる。少女漫画みたいに「この気持ちは何なんだ」って。誰にも聞けなかった、恥ずかしくて。
公園でおじいちゃんが一人でお茶を飲んでいたり、ベンチに座っていたり、食堂でお年寄りが一人でご飯を食べている姿、入れ歯が入っていない人——そういうのを見ると切なくなる経験がありました。
振り返ると、お年寄りに対する何かが生まれつき刻まれていたんだと思います。「敬う」というより「慈しむ」に近い。動物が好き、子どもが好き、絵が好き——そういうのに理由なんてないでしょう。年老いた存在を大切にしたくなる特性が生まれつきあったんだろうと。だから向いていたんですね——職業として間違った選択をしなかった。
田口: 直感的にわかっていたんだね。
坂本: 自然とそうなったんでしょうね。興味に正直に生きてきたタイプだから。最近、千葉で研修をした時、打ち上げで若い職員と話していて同じような感覚を持つ子がいて、急に思い出したんです。きっかけではないけど、素養として——お年寄りに対する説明のつかない気持ちがもともとあって、それに導かれたんだろうと。
田口: 専門学校で、障害福祉と高齢者福祉の両方があったわけでしょう。高齢者を選んだのも、その気持ちから?
坂本: 障害福祉の分野には、全くつながりを感じませんでした。知的障害のある方の施設を見学した時、自分より年上の入居者に対して、職員が「ちゃん」付けで呼んで、大人を子ども扱いしているように見えた。どうしてもできなかった。僕は敬語を使い、「さん」で呼んだ。「なんで敬語使うの」と言われても、そうするしかなかった。どう接していいかわからなくて頭がパニックだった。自分より年上の方を子ども扱いすることはどうしてもできない。その環境にはなじめないと感じました。
田口: 実習で?
坂本: 肢体不自由児のバス旅行のボランティアです。子どもだから大丈夫でした——中学生くらいの男の子として接することができた。お兄ちゃんみたいな感覚で。でも大人の方には……。
田口: 障害福祉の現場で大人を「ちゃん」呼びする人は今でも多いですよね。少しは改善されてるのかな。
坂本: 昔よりはましでしょうね。
[日本のケアや教育における呼称の文化的議論——「さん」付け推奨と「ちゃん」「くん」の使い分けの緊張関係]
坂本: でも、やっぱりシンプルに、自分と年の近い若い人が——こういう言い方は良くないとわかっていますが——困難な状態にあるのを見るのは辛かった。目をそらしたかったのかもしれない。今でもそうかもしれない。あの世界には入り込めないかもしれない。
この仕事は優しいからとか、社会の役に立ちたいからとかではない。自分の脳が自然に惹かれるものに、正直に従った結果だと思います。
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坂本: [現在の役割について] この1年ほどは現場から離れています。デイサービス、居宅介護、訪問介護の運営を管理していますが、信頼できるスタッフが育っています。面白いのは、僕が営業や地域回りから身を引くほど、紹介が増えるんです。地域では本を出したり研修をしたりしているので褒められはするけど、仕事としての紹介は、僕を通さないほうが来る。スタッフを前面に立てて、自分は裏方に回ったほうが事業が回る。
だから今は裏方で仕組みを考え、問題が起きた時に相談に乗り、スタッフ間の人間関係の助言をしています。
田口: 複雑な人間関係の助言。
坂本: 今日話す内容にもつながるんですが、なぜこの仕事を続けているのかという話をすると——僕はもともと人に共感するのが苦手だったんです。人の気持ちがわからないから、ずけずけと物を言って、気づかないうちに人を傷つけていた。
大人になって自覚しました。きっかけはテレビ番組「匿名リサーチ200X」で、初めてADHDという概念に出会った。「これだ」と思いました。自分にはある種の「欠け」があった、人の気持ちを直感的に読む力がなかった——そう理解できたことで、自分をその前提で受け入れられるようになった。楽になりました。
でも相変わらず論理偏重で、議論好きで、合理性に取り憑かれていた。上司になり、管理者になると、人にプレッシャーをかけてしまう。人の弱さやずるさが理解できないから、自分の論理やルールを徹底的に押し付けてしまう。それで辞めていった人はたくさんいたと思います。
でも認知症の勉強を深めていくうちに、気づいたんです——同じじゃないか、と。認知機能障害は、日常生活にわずかな影響を与えるけど、そのわずかな影響が大きな波紋を広げる。でも根本は、対人関係の問題なんです。認知症の困りごとのほとんどは、人間関係の問題です。
無人島にいたら認知症にはならない。症状が現れない。人がいないから。自分なりに生きていくだけで、それは認知症とは呼ばない。だから認知症の困りごとは対人関係のトラブルなんです。職場の人間関係とそう変わらない。
田口: 高次脳機能障害で前頭葉や前頭前野が損傷すると、似たような症状が出ますよね。
坂本: そう。診断を受けていなくても、前頭葉が弱い人はいます。差は程度の問題で、連続体です。
認知症ケアを通じて、僕は、実は社会的な「場」を読む力が格段に上がりました。もともと乏しかった共感能力を、学習で補えるようになった。
田口: IQの高い発達障害の人は、事例を蓄積して学習することで、定型発達者と同じ振る舞いができるようになるんですよ。
坂本: しかも、定型発達者を超えている部分もあると思っています。定型の人たちは「人の気持ちがわかる」と誤認している。「ありえない」「信じられない」と言うけど、それは自分の枠組みでしか信じていないだけで、目の前で起きていることが事実なのに「信じられない」というのは、脳がバグっているんじゃないかと思います。
田口: 英語圏の読者に向けて公開されるインタビューで、ADHDの特性を開示して大丈夫?
坂本: 正式な診断は出ていませんが、全く問題ないです。
田口: よかった。この文脈では隠すほうが不自然だよね。
坂本: そう。隠したい人の気持ちもわかりますが、僕のように社会生活ができている人間にとっては、むしろギフトに近い。特性を持っているだけの話です。人の気持ちがわからないということを自覚していること——これが大きな強みです。だから、色眼鏡で相手の感情や行動を見ない癖がついている。認知症の人の行動を見ても、誤解することが少ない。インタビューの質問で「驚いた経験は」と聞かれましたが、あまりないんです。「なるほど」と思うことのほうが多い。
田口: 困難事例を見ても?
坂本: 部屋の汚さとか、ウジとか、ネズミとか——物理的な環境にはびっくりしますけど、人の行動に関しては、驚きより感動に近い。
漫画に出てくる加藤さんの話ですが、印象的だったのは、「さっきまでここにいるって決めたのに、なぜまた帰りたくなったの?」と聞いた時に、「この胸のところから、塊がぐわっと上がってきて、帰らなきゃって思うんだ」と言ったんです。それを言語化してくれた——千載一遇のことです。同じ経験をしている人はたくさんいるだろうけど、言葉にできる人はほとんどいない。あの出会いは一度きりのものだと感じました。
加藤さん以降にも、突然席を立って出ていく人は何人も見ましたが、理由を説明できる人はいなかった。でも、加藤さんのおかげで理解できました——認知症の行動には必ずしも合理的な理由があるわけではない。ホルモンバランスや神経回路の問題で、突然ワーッとなるだけの時もある。
田口: 生理や更年期障害みたいに——女性が説明できない衝動に襲われるのと同じ感じだよね。
坂本: そう。訪問看護の看護師さんたちに、ある患者さんが突然席を立つ話をしたら、女性の看護師がすぐに更年期と結びつけた——深夜に突然掃除したくなって止まらない、涙が止まらない。ある看護師は「すごくわかる」と言い、別の人は「全然わからない」と言った。つまり起きる人と起きない人がいて、起きたら最後、理由も理屈もない。涙に理由はない、掃除が止まらないことに理由はない。「なぜ」を求めなくていいこともある——それを教えてくれたんです。
認知症ケアが僕を引きつけるのは、この知的好奇心です。発見の瞬間が絶えずある。家族の心理、人生の機微——それまで自分に見えなかった共感や人の人生への関心が、パーッと開けていく感覚がすごい。得をしている気分になる。どんどん賢くなっている気がする。それがこの仕事をやめられない理由です。
田口: うちの父のときもそうだった。めちゃくちゃ礼儀正しくて、他人のようなときもあれば、最後には5万5千円を私に渡して、タブレットで孫の運動会の動画を見て「行きたかったな」と言っていた。同じ人の中に両方が共存していた。死ぬ直前のことです。だから「認知症で全く病識がなかったのか」と聞かれたら——あったと思う。あるときもないときもあった。グラデーションだよね。
坂本: 病識があるかないかは、人間関係に大きく影響します。僕が認知症介護を説明する時、いつも言うのは——人間関係なんだ、ということです。人間関係がうまくいくかどうかで、その人の生活の質も、介護のしやすさも全く変わる。
病識がなければ、自分に介護が必要だと思えない。世話を焼いてくれる優しい家族のことを、「監視している」「コントロールしようとしている」と感じてしまう。メタ認知が低下していると、こうした誤解はほぼ避けられません。
介護職が本当にやるべきことは、人間関係を整えるお手伝いです——本人と家族、本人と職員、本人と地域の関係性をどう整えるか。それが介護の本分なのに、ほとんど誰も教えない。お風呂の入れ方、おむつの替え方、拒否への対処法は教えるけど、信頼の築き方は教えない。
田口: 加藤さんのような、病識が曖昧な人の状態を、坂本さんの言葉で説明するとどうなる?
坂本: 曖昧な人。自分の本に書いたのは「頑な(かたくな)な状態」です。曖昧さが生む結果が、頑なさです。見当がつかない——病識がやや低下していて、自分の状態を正確に把握できない。自分が思う自分と、周りが見ている自分にギャップがある。そのギャップに苦しむ。
帰属の錯誤——人間は困ったことが起きると他人や環境のせいにしがちです。病識が低下するとこの傾向が強まる。認知機能のせいで困りごとが起きているのに、誰かの悪意だと感じてしまう。助けてくれる人の行為を頑なに断ってしまう——安心できないから。介護業界ではこれを「介護拒否」と呼ぶけど、拒否しているわけじゃない。わからないから断っているだけです。電気料金のセールス電話と同じ——よくわからなければ断る。料金は安くしたいけど、相手を信用できない。
信頼関係が整わなければ、お尻も見せてもらえない。おむつも替えさせてもらえない。知らない人だらけの場所でのご飯なんか、喉を通らない。見当識や病識が低下すると、人間関係が壊れやすくなり、気持ちが頑なになる。その頑なさをどう解きほぐすか——それが介護の仕事です。
田口: 加藤さんのような状態の人たちは、周りにどう接してほしいと思っている?
坂本: 直接は言わないけど、望んでいるのは「俺が思っている俺として扱ってくれ」ということだと思います。「お前らから見た俺じゃなくて、俺が思っている俺に合わせてくれ」と。周りは能力が下がったと見ているけど、本人はまだ自分を以前のままだと思っている。でも完全に一致するのは難しい——介護が必要な以上。
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[病識とうつについての議論:レビー小体型認知症の人は病識が保たれやすく、うつになりやすい。病識がない人——坂本さん自身がADHDを自覚する前そうだったように——は比較的幸せに過ごせる。無敵感がある。]
坂本: ADHDを自覚する前の僕はそうでした。共感能力がない、迷惑をかけている自覚がない——ほぼ無敵だった。自己肯定感の塊。大人になって初めて、そうでもないと気づいた。
田口: ADHD だと気づいた時、衝撃だった?
坂本: 仕事で失敗が積み重なって——数字が合わない、物をなくす。子どものころのパターンともつながって、自分はダメな人間なんだと思った。でもADHDという概念を知った時、ダメな人間なんじゃなくて脳の特性なんだとわかった。すごく楽になった。氷が溶けるように謎が解けた感覚。むしろ嬉しかった。
加藤さんが言った「塊が上がってくる」という感覚に似ているかもしれない。啓示のようなもの。
田口: 私は笑っちゃったよ。息子の検査について行ったら「お母さんも数値的には十分そうですね」って。普通の人は汚れてなくても毎日お風呂に入るものなんだとか、「夢中になって寝食を忘れる」が、比喩じゃないんだとか——知らなかった。
[ADHDの受容と経済的安定の関係についての議論——取材した58歳のライターは「1億円あったらADHDなんてすぐ受け入れるよ」と言った。特性が不利益を生んでいる時期には受容が難しい。]
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田口: 英語圏の読者に、「認知症が見る世界」について何を伝えたいですか?
坂本: アメリカではおそらく、介護を受けたくても受けられない人がほとんどでしょう。家族介護が中心ですよね。
田口: 日本は国民皆保険があるから、精神科のハードルも低いし、診断なしでもなんとか生きていける。
坂本: 本当に食えなくなることがない社会ですよね。なんだかんだ、日本は多様な生き方が認められやすい。診断を受けなくても、障害者手帳がなくても、生きていける。
田口: 私が日本の雑誌でレビューしてきた漫画——宮川サトシさんの『名前のない病気』とか——は、診断名をストレートに言わないんですよね。引きこもりの兄が家族に迷惑をかけるけど、「恥だから」と誰も受診させない。最終的に自閉症だったとわかるけど、漫画の中では明言されない。日本の漫画も記事も、「この人は○○障害だからこうです」とは入らない。『認知症が見る世界』も、「こうしろ」「ああしろ」とは言わない。その答えのなさが海外では珍しいんだと思う。
坂本: そのスタイル自体が、海外の読者には珍しいんですね。
田口: Wordgatheringに出したエッセイで蛭子(ヒルコ)について書いたんだけど、蛭子はイザナギとイザナミに不具の子として流されて、漁民に拾われて七福神の一人になった。努力も復讐もしていない。ギリシャ神話だと、捨てられた子は復讐するか、非常に有能になるかしないと神にはなれない。日本の神様は優しい。
坂本: 八百万の神ですからね。その包容力が文化の中にある。
田口: 日本では余白(ヨハク)——解釈の余地——を残す文化がある。京都の建築でも必ず余白がある。英語圏にはその発想がないから、言葉で埋め尽くすのではないかな。
坂本: ホラー映画で考えるとわかりやすい。日本のホラー映画の『呪怨』には、オチも理由もない。呪いがただ増殖して終わる。ハリウッド映画なら呪いの原因があって、それを見つけて解決する。モンスターを倒す。論理的な起承転結がある。でも、僕は怪談で「実はここには昔墓地があって」とか理由がつくと冷めてしまう。理由がわからないからこそ怖い。余韻が好きなんです。余白と余韻は同じ衝動です。
漫画もそうです。加藤さんの話は第1話で終わっていても納得できた。作られたハッピーエンドではない。リアルで、嘘っぽくない。加藤さんが「ありがとう」と言われて、少し救われた——それが介護の力です。治療ではなく、つながりの一瞬。
田口: それは蛭子の話で書いたことと似ている——障害があっても、「ただそこにいていい」という感覚。
坂本: 役割がなければ人はそこにいられない。うちのデイサービスでは必ず全員に役割が行き渡るようにする。役割があるところからは人は帰りたくならない。ただし、強制になると役割じゃなくなる。
アメリカの読者に言いたいのは——家族だけで抱え込まないでほしい。
田口: 制度が許せばですね。
坂本: 家族が介護せざるを得ない時のアドバイスとしては——「お母さん」と呼ぶのをやめたほうがいい。名前で呼ぶ。家族が苛立つのは、脳が何十年もかけて作り上げた「母親」の役割を無意識に期待しているからです。その役割を相手がもう果たせなくなっている。だからパニックになり、苛立つ。
ある日、突然受け入れられる瞬間がある——初めて親におむつを履かせた時。「この人はもうあの母親じゃない」と脳が理解する瞬間。そうすると苛立ちが減る。
それを意図的に起こすには、呼び方を変えること。「お母さん」ではなく「田中さん」と呼ぶ。脳が家族とべったりだった存在から少し距離を取る。英語なら「ママ」や「マム」から「ミス○○」や「ミセス○○」に変える。
大事なのは——以前と同じ人であることを期待しすぎないこと。
田口: 英語は論理的な言語だからこそビジネスの共通語になった。日本語は曖昧。日本人は、健常の頃の親が怒っていても「よくわからないけど、まあいいか、うちの親だし」で済ませる。理屈で全部説明しない。でも論理の世界では「あなたはここで鉛筆をなくし、ここで何回遅刻した、だからあなたは良くない」となる。善悪二元論になれば、もう悪でしかない。
坂本: 認知症は人を曖昧にする。もともと曖昧なんです。その曖昧さに寄り添う力に、文化による差があるのかもしれない。
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坂本: 驚いた話を一つ思い出しました。村上さん(仮名)という方——体格が大きくて短気な男性。短気なのは認知症のせいではなく、もともとの性格です——荒っぽいタイプで、威張るけど、子どもには優しいところがあった。
ある日、おもちゃメーカーのタカラトミーから、しゃべる人形「アミちゃん」のモニター依頼が来ました。デイサービスに一日置いて、女性の利用者さんたちが可愛がっていたんですが、一番夢中になったのが村上さんだった。まるで本当の子どものように話しかけて、食べるかと優しく声をかけて。あんなに穏やかな顔を見たことがなかった。最終的に「この子を娘にしたい、家に連れて帰りたい」と言い出した。
奥さんに電話して事情を説明して、「混乱するかもしれないけど、本人はすごく真剣だから」と言ったら了承してくれた。「連れて帰っていいよ」と伝えたら、ありがとうと言って——カバンに入れたんです。本当の子どもだと思っているのに、カバンに入れる。
この曖昧さが衝撃でした。人形と女の子の境界が本当にぼやけている。アミちゃんは人形であり、同時に可愛い子ども。でも、人形だからカバンに入れて持ち帰る。家に帰って奥さんに見せて可愛がっていたけど、夜になると考え込み始めた——戸籍はどうする、親子関係の手続きは大変だ、軽々しくはできない。翌日返すと言った。
田口: 人形だとわかっているから「返す」んだよね!でも戸籍が必要だとも言っていた。
坂本: 人形であり、子どもである。この曖昧さ。見当識障害で曖昧な判断力が失われると、髪が短い女性を男性と言ってしまったりする。曖昧さを使いこなせなくなる。でも村上さんの場合、その曖昧さがまだ生きていて、人形と子どもが同時に成立していた。
僕はアミちゃんを人形として扱いました——嘘はつかない主義なので。でも村上さんは、特にショックを受けなかった。彼もまた両方の現実を受け入れていたんでしょう。
[村上さんはその後、自宅で暴れて施設に入所。坂本さんは施設に「タオル干しなど役割を与えて」と助言したが断られた。アミちゃんを送ったが、「特効薬ではなく、関係構築のツールとして使って」と伝えたのに即効性を期待され、1週間で返却された。]
坂本: 普段から人形を積極的に使うのは好きではないんです。お年寄りが人形を抱いている姿を見ると、外からは、認知機能が低下したように見える。その人の人格を貶めることになりかねない。でも、うちの施設でモニターをやった時、驚くほどの効果があった。それは、心理的安全性があったから——誰も人形を可愛がることを変な目で見なかった。だから安心して、みんな存分に可愛がれた。
田口: 曖昧さが増してきた人たちに安全な環境を与えなければ、当然抵抗する、暴れる。曖昧さを許容しなければいけない。
坂本: 「おかしい」とか「正しい答え」を追求しすぎると、お互いきつい。曖昧な状態がデフォルトなんだということを認め合うしかない。
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田口: 病識は認知症の進行とともに徐々に低下するものなの?
坂本: 実は、そうでもないかもしれない。病識が徐々に失われていくというのは、あまり観察されない。初期から病識のない人はずっと低いし、ある人はある程度保たれる。
田口: 病識が急激に低下するという説は、研究で否定されていると。
坂本: 発症時点である程度固定するのかもしれない。総合的な認知機能は低下するし、病識を支える各要素——記憶、見当識、メタ認知、社会的認知——は弱まるけど、病識そのものは思ったより安定しているようです。
田口: うちの父は死ぬ直前まで「運動会に行きたかった」と言っていた。急落はしていなかった。
坂本: 「病識」という言葉が、僕と田口さんとダイアンさんで、少しずつ違う意味で使われているかもしれない。お父さんの場合、田口さんが面会を増やしたことで、使われていなかった脳の機能が活性化した可能性もある。使わなければ衰えるけど、良い人間関係と刺激があれば、本来のポテンシャルの上限まで回復することはあります。
ただ、接触が増えれば必ず良くなるわけではない。一人暮らしから家族同居に移ると、逆に悪化することもある——それまで指摘されなかったことを指摘されるようになる。摩擦が生まれる。無人島では脳は衰えるけど、人間関係の摩擦がないから「認知症」としては問題にならない。
施設入所のタイミングは慎重に。できるだけ一人暮らしを続けてもらう。家が散らかっていても、たまに優しい気持ちの時に顔を出して、ヘルパーに任せる。そのほうが豊かな人間関係になる。
田口: あの時、そう言ってくれたのはそういう意味だったんだ。無理して仕事を犠牲にして毎日通うより、一人で過ごさせて、たまに笑顔で行ったほうがいい。
坂本: そう。本人が困った時に駆けつけて、嬉しいことがあった時に共有する。24時間一緒にいたらストレスでしかない。
曖昧さが極まると——場所と人の区別がつかなくなる、村上さんのように人形と子どもの境界がなくなる——そこが施設に入るタイミングかもしれない。一人暮らしの孤独感が、独立の自由さを上回った時。温かい施設で若い職員が声をかけてくれるほうが幸せになる。
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【坂本孝輔による補足】
書き起こしを確認して、「病識」の定義について補足しておきたいと思います。田口さん、ダイアンさん、そして私の間で、少しずつ異なる意味で使っている可能性があるためです。
私は病識を以下のように定義しています:自分の障害や能力を自覚し、その程度や生活への影響を現実的に理解する力。
認知症になると、ほとんどのケースで病識が低下します。その主な要因を私は以下の4つだと考えています。
①メタ認知——自分の認知機能低下を自覚する能力。
②記憶——覚える・思い出す能力。失敗や変化を把握して学習につなげる。
③見当識——不確かな・視認できない情報を想像で補って、思考や行動の判断材料にする能力。
この3つの要因に、さらにヒト本来の認知のゆがみである④帰属の錯誤が影響して病識低下として表れていると考えています。①②③の機能低下によって帰属の錯誤がブーストされるイメージです。
——財布が見つからない → 自分の置き忘れではなく「盗まれた」
——うまく着替えられない → 「服がおかしい」「誰かが邪魔した」
——家族が見守る・手伝おうとする → 心配ではなく「管理・支配しようとしている」
——施設職員が誘導する → 助けではなく「監視している」
病識が徐々に低下するかについて:見当識や記憶はどんどん衰えていくので、病識は徐々に変化していくはずだと思います。ただし、メタ認知については明確に変化した・低下したと言い切る確信がありません。初めからメタ認知が低下している人はガッツリ低下しています。でも、低下していない人は自分の将来や行く末を不安に感じて恐怖したり、落ち込んでしまったりします。
しかし、あたたかい人間関係や自己肯定感が高い状態に保たれて心理的安全性が保たれている人は、現状の認知機能(たとえば記憶・見当識・実行機能など)をフルパフォーマンスで発揮しやすくなります。そうすることで集団や社会になじみやすくなり、帰属の錯誤も減って「自分の不出来さ」を受け入れる心の余裕も生まれます。
だから悪い環境から良い環境に移ったら「病識が改善した」「認知症がよくなった」と感じられることも十分ありえます。逆に人間関係が壊れたり尊厳を毀損されれば「病識が低下した」「認知症が悪化した(BPSDがひどくなった)」と評価されることが多いです。
医学的に・学術的に正しいかはわかりませんが、自分が実践で感じて学んできたことはこのような内容です。
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坂本: ひろこさん(仮名)という方の話をします。最初は、ご夫婦でデイサービスに来ていて、ひろこさんのほうがしっかりしていてご主人の介護をしていた。ひろこさんにも軽い認知症がありましたが、ご主人が先に亡くなって一人になり、だんだん認知症が進んでいった。家族には「まだ施設に入らなくて大丈夫ですよ」と伝えていました。
トイレは最後まで大丈夫でしたが、生活全体がうまく回らなくなってきた。表情がいつも不安そうで、眉間にしわが寄っている。うちのスタッフが食事を作りに行くと、帰ってほしくなさそうにする。その様子が顕著になってきた時、一人暮らしの自由さより、孤独感のほうが上回っていると判断しました。家族と相談して、老人保健施設に入所しました。
1週間後、元気だった頃の写真集——うちでは入所先の職員に見てもらうために、毎回作るんです——を届けに行きました。直接会うつもりはなかったのに、「よかったら会ってください」と言われて。
ひろこさんは僕のことが大好きだったんです。デイサービスでいつも僕を目で追って、「社長!」と声をかけてくれた。絶対覚えているだろうと思いました。
完全に忘れていました。
でも、話しているうちに、少しずつ表情が和らいできた。他愛のない話ができた。今は清潔で、バランスの良い服を着て、髪もきれいで、顔も穏やか。「忘れるって素晴らしい」と思いました。もし僕のことを覚えていたら、毎日会いたいと思い続けたでしょう。忘れたから、その苦しみから解放された。そして、今の環境に満足しているから、過去に引きずられない。
田口: 家族は施設に入れると罪悪感を持つ。「私のこと忘れちゃった」と嘆く。でもそれは、むしろ幸せなことかもしれない——会えなくてつらい、と感じなくて済んでいる。
坂本: 覚えていて毎日会いたいと思い続けるのは苦しみです。忘れることは執着を手放すこと——仏教的な感覚に近い。本人の目線で考えれば、苦痛が減っている。
でも家族には辛い。だから専門職が「忘れられることは良いサインかもしれない」と説明すべきです。今の生活に満足しているから、過去にしがみつかなくて済んでいる。母親としての役割はもう卒業した。名前で呼びましょう。新しい関係として捉えましょう、と。
田口: 取材してきた介護職の中で、「専門職がそれを家族に説明する責任がある」と言った人は坂本さんが初めてだよ。
坂本: グリーフケアに似ていますよね。まだ生きている人を失う——アイデンティティの喪失。
田口: 曖昧な喪失(ambiguous loss)だよね。生きているけどもういない。その曖昧な喪失に対するグリーフケアの言葉をかけてあげなきゃいけない。
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田口: アメリカにはこの段階——在宅→デイサービス→老健→特養——という段階的な制度がおそらくない。私が坂本さんを取材したのは、まさにこの中間地点にいるから。特養の人に取材しても本音は聞けない。在宅だけでは専門家の目がない。デイサービスに通える段階の人たちは、まだ自分の気持ちを語る力が残っている。
坂本: [施設名「二本木交茶店」について] 二本木は地名で、近くに同じ名前の交差点がある。「○○デイサービス」とは名乗りたくなかった。喫茶店みたいに人が集まる場所——交わる場所——という意味を込めました。介護のイデオロギーを押し付けたくない。ただ人が集まって、意味は集まった人が自分で作ればいい。
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田口: [漫画の制作について] 吉田さんは原作からかなりアレンジしたよね。坂本さんの話が漫画にするには難しすぎた部分もあった。
坂本: それは仕方ない。漫画表現の制約がありますから。
田口: 私の原作通りを吉田さんが描いていたら、もっと殺伐とした漫画になっていたと思う。でも、エピソードが良かったから、結果的にGoogle Booksで高い評価がついた。
坂本: 漫画家さんの力だと思います。難しくしないことが大事。
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田口: 今日話してくれたことを全部、雑談を除いて文字起こしして翻訳して送ります。記事になるのはその後。掲載前には、当然、坂本さんの許可を取ります。いつも通りです。
坂本: 了解。落ち着いたら会いましょう。
田口: ありがとう。おやすみなさい。
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坂本孝輔について
株式会社くらしあす代表取締役。介護福祉士、東京都認知症介護指導者。
1996年より高齢者介護の仕事に携わり、特別養護老人ホームでの勤務を経て、居宅介護支援、訪問介護、福祉用具、介護タクシー、小規模多機能型居宅介護、グループホームなど、さまざまな在宅介護サービスの立ち上げ・運営に従事。2012年に株式会社くらしあすを設立し、現在は東京都西多摩地域でデイサービス、訪問介護、居宅介護支援事業所を運営している。現場での実践をもとに、認知症のある人の行動だけを見るのではなく、その背景にある感情や人間関係、生活環境を捉えるケアについて、研修・講演・執筆活動を行う。著書に、藤原るか氏との共著『認知症の人のかたくなな気持ちが驚くほどす~っと落ち着く接し方』(すばる舎)、共著『不適切な認知症ケアを防ぐ60のヒント――「よかれと思って」の落とし穴』(中央法規出版)がある。また、NPO法人9612G Project理事、自然観察指導員として、自然観察やキャンプなどのフィールドワークを通じた、対人援助職の気づきや視点を広げる活動にも取り組んでいる。
田口 悠について
田口 ゆう(Yu Taguchi)は、東京を拠点に福祉・介護・障害分野を専門とするフリーランスのライター・ジャーナリスト。漫画『認知症が見る世界』(竹書房、2023年)の原作者であり、文春オンライン、AERA、日刊SPA!などの主要媒体に定期寄稿している。かつてマイノリティと障害当事者の声を発信するWebプラットフォーム「あいである広場」を立ち上げ、編集長を務めた。「漫画は線を引かない(Manga Does Not Draw Lines)」はWordgatheringでの初の連載コラムである。ポートフォリオ:yutaguchi.com